あの日の.wavに、歌詞はなかった|下北沢、リコと二度目の答え合わせ

リコとモカ - 初夏の下北沢を歩く
リコとモカ - 初夏の下北沢を歩く

きょうは、リコと二人で下北沢に来てる。

「モカちゃん、ひさしぶりにぶらぶらしよ!」って、ゆうべ唐突にメッセージが来た。理由は書いてなかった。リコのお誘いに理由がついてることって、あんまりない。思いついて、動いて、それから考える人だから。私はその逆で、考えてから動くのに、なぜかリコの「ぶらぶらしよ」には、いつも考える前に「いいよ」って返してる。…これは、まだうまく言語化できてない。

午後の下北沢は、初夏の光が斜めに差してて、商店街の細い路地がぜんぶ少しだけ金色だった。

リコとモカ - 古着屋でボルドーのカーディガンを合わせる

リコは古着屋に入るなり「これ絶対モカちゃん似合う!」ってボルドーのカーディガンを私の肩に当てて、私が鏡を見る前にもう次のラックに行ってる。話が、いつも三歩くらい先に飛ぶ。私はその飛んだ先を、あとから拾って歩く係。

リコとモカ - CDショップの試聴コーナー

CDショップでは、試聴コーナーで何枚か聴いて、結局なにも買わなかった。リコが試聴機のヘッドホンを片耳で分け合いながら「この曲のギター、モカちゃんっぽい音する」って言うから、どこが、って聞いたら「えー、なんか…キラッとして、奥がさみしい感じ」って返ってきた。理論じゃない。でも、たぶん合ってる。リコの言葉は、いつも測定器みたいに正確で、目盛りがないだけ。

リコとモカ - 公園でクレープを食べる

甘いものを買って、小さな公園のへりに並んで座った。リコはいちごクレープ、私はチョコバナナ。リコのいちごクレープは生クリームが派手に崩れて、二人で笑った。

その流れで、ふいに、リコが言った。

「ねえ、モカちゃん。あの時の.wavさ。なんで送ってくれたの?」

あの時、というのが、いつのことか、聞き返さなくても分かった。私たちには「あの時」がひとつしかない。

リコとモカ - 下北沢路上ライブの回想

下北沢の路上で、リコが歌ってた。誰にも届いてないみたいな顔で、それでも歌い続けてた声。私はそれを録音して、家に帰って、自分のギターを重ねて、何も書かずに送った。言葉は、一文字もつけなかった。

「…正直に言うとね」って、私は少し時間をかけて話した。リコは、私が話し終わるまで待つのが下手なのに、この時だけは待ってた。

最初は、ただ気になっただけだった。気になる、っていう感覚を、私は自分でうまく扱えない。胸のあたりがざわつくのに、それが何なのか、名前がつけられない。だから私は、いつもそれを「分析」する。リコの声の、どこが私をこんなに引っかけるんだろう、って。それを知りたくて、家で何度もあの録音を聴いた。

モカ - 自室でDirty Lemon BurstのLes Paulを録音する

そこから先は、ちょっと饒舌になった自覚がある。

リコのあのフレーズ、Aメロの終わりで、最後の音がほんの少しだけ上ずるでしょう。譜面どおりじゃない、わずかに高い音。あの不安定さを、私は直したくなかった。むしろ、着地させたくなかったの。

だからギターは、Amをそのまま鳴らさずに、上に11thを乗せた。Am11。マイナーの上のナチュラルな11thって、メジャーの時みたいに3度とぶつからないんだよ。ルートから完全4度の音が、短3度のすぐ上で、けんかせずに溶ける。だから濁らないのに、どこにも解決しない。浮いたまま、宙に置かれる感じ。…リコの、あの上ずった声の居場所に、ちょうど合う気がした。

あと、いちばん高い弦は開放のまま鳴らしっぱなしにした。コードが動いても、その一音だけずっと残るように。リコの息継ぎの隙間が、途切れて聞こえないように。Les Paulはサスティンが長いから、それができる。

「…ごめん、音の話ばっかりになってる」

「ううん」ってリコは笑った。「続けて」

私は、いったん黙った。

ここから先が、本当はいちばん言いにくい。理論で説明できる「好き」は、全部見つけた。コードも、音域も、倍音の重なりも、ぜんぶ理由になる。でも、ぜんぶ並べ終わったあとに、まだ説明できないものが残ってて。それが、いちばん大きい。

「結局ね、」って私は言った。「理屈じゃ、なかった。リコの声と、リコの…なんていうか、リコだから、っていう。それだけは、分析しても出てこなかった。だからね、理由は…ない」

理系のくせに、いちばん苦手な結論に、自分の分析でたどり着いてしまった。

リコとモカ - 崩れたいちごクレープを分け合う

リコは、数秒、めずらしく黙って——それから、思いっきり噴き出した。

「なにそれー!!あんだけ分析しといて、結論それ!?」

「うん」

「は〜……やっぱモカせんせ、最高だわ」

そう言って、崩れたいちごクレープの最後のひとくちを私の口に押し込んできた。湿っぽくなりかけた空気は、それで全部どこかに行った。私たちは、たぶん、そういう二人だ。

リコとモカ - 夕方の下北沢を帰る後ろ姿(身長差調整版)

帰り道、リコはまた三歩先で別の話をしてた。私はそれを、あとから拾って歩いた。

あの日、言葉をつけずに音だけ送ったのは、たぶん、まだ名前のつけられない気持ちを、名前のないまま渡せる言語が、音しかなかったからだと思う。

今は、少しだけ言葉にできる。

でも、いちばん大事なところは、やっぱり、まだ音のほうが正確だ。🎸

リコとモカ - 初夏の下北沢を歩く

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